好きです
あなたのいない世界で生きていけない……
今の心境
彼のいない人生は考えられなかった。
ということが、1番最初に浮かんでくる。
どんな関係性であれ、ずっと連絡を取ってたい。
彼といると自分の目標を見失わないでいれる。
彼といると偽らないで楽しく趣味の話ができる。
遠慮せずに趣味の話ができる人が珍しいのか、
結婚相手として穏やかな生活ができる人が珍しいのか。
一生1人で博物館に行って自分の世界を邪魔されずに過ごすのが幸せなのか、
時々休みの時に、一緒に博物館に行ったり行ける人生が楽しいのか。
自分が好きな話をすると、覚めた目で見られるのに耐えらるのか。
高いブランド物を貰う方が幸せなのか、1000円のチケットを貰って一緒に行く方が幸せなのか。
好きなんだろうな。たぶん。
そんな気がしてる(笑)
結婚する前に会いたい人
会ったことのない人と会おうと思ってる。
会いたい相手は文通相手だ。
急いで会わないといけない理由ができてしまった。
私にカレシ!ができてしまったのだ。それだけなら、無理してふみ友さんに会う必要なんてない。けど、この恋愛はなんとなくうまくいきそうな気がして不安になってきた。上手くいくということは、結婚ということだ。
そうすると、ふみ友さんとの文通はもうできなくなる気がする。理由はいろいろ考えてみたけど、きっとどこかで終わりは来ると思う。
ふみ友さんとの手紙のやり取りを思い出してみた。彼とは1年半毎月手紙の往復をしている。お互い好きなものが似ていて、マニアックな文学や歴史の話、小説を書いては送りあっていた。共通点が多いから話が盛り上がるのか、彼が教養豊かなだけなのか分からない。
つらくて落ち込んだ日に限って彼から手紙が届いていて、何度も助けられた、ことを思い出した。彼と話したり、恋愛ができたら楽しいのかなと思ってしまった。そんなことを彼からもらった手紙の束を引っ張り出しながら考えていた。
今の彼氏は、特に趣味も会うわけではない。けど、彼は穏やかで仕事熱心。(本人は社畜だからと笑っていたけど)このまま違和感なく結婚して、想定の範囲内の幸せな生活が送れそう、な気がした。今その幸せが手の届く範囲に来ていると思う。
けど、それで本当にそれでいいのかと思う私もいる。
今の彼氏とは、休日一緒にミュージアム巡りをしたり、おもしろいニュースを一緒に共感できるのかなと。そんな時にふとふみ友さんのことを思い出した。
彼との文通はいろんな話題がでてきて楽しかった。だから一度会いたいと思ってしまった。相手の気持ちもあることだから、何とも言えない。何かしたいっていうより、私の気持ちに区切りをつけたいのかもしれない。
ということで、結果はまた書きます(笑)
最澄と日本の仏教(九博の特別展より)
私が驚いた3トピックを紹介する。
①遣唐使つらそう
遣唐使船のミニチュアをみると、なんと、当たり前だが!木造船!!この船で一か月かけて航海していたのかとゾッとした。帆も竹籠のようなもので編んである。最澄が唐へ向かったとき、4隻の遣唐使船が組まれていたが、二隻しかたどり着けなかったそうな…。
他に大変だな…と思ったのが、入唐許可証。大使の名前が書かれ、印が押してある。漢字で書かれてるから、これが申請書、許可証というのが何となくだが読み取れる。
展示ではさまざまな許可証、申請書といった”公文書”が展示されていた。いつの時代もお上の許可なしには上陸も出国もできないのだな…と先人たちの気持ちを少しばかりか理解することができた。
②千日回峰をすると死臭がする!?
千日回峰行は七年間にわたる厳しい修行その途中に「堂入り」と言って、9日間食わず寝ず真言を唱える行がある。想像を絶するとは思っていたが、解説パネルを読むと「9日間の修行をすると、体から死臭がしたり、瞳孔が開いたりする。(書き方は違うが…)」とあり、私が考えているはるか上の過酷さだった。
③横川中堂のご本尊様が九博に??
九博にはさまざまな仏像をどこかから借りてきては展示している。その中には、○○寺のご本尊を展示していることもある。けど今回の九博は、延暦寺横川中堂のご本尊様を借りてきて展示していたのだ。延暦寺の中でも由緒正しいお寺”横川中堂”。現地に行っても、観光客はまじまじと見ることはできず、遠目で手を合わせることしかできない。にも関わらずその仏様が九博では触れる距離に(触るのはダメ)いるではないか…
本当に驚いた。
横川中堂に行っても、ご本尊様は留守なので行かれる方はぜひそのことに留意の上参拝に行っていただきたい。
久しぶりに仏像をたくさん見て、穏やかな気持ちになった一日だった。
幸せになってほしい人
幸せになってほしい人。
こう書くと、どこか他人事で冷たい印象を与えてしまうかもしれない。
なんなら、「お前が幸せにしてやれよ!」と言われるかもしれない。
その通りです。私じゃ彼を幸せにしてあげられなかった。
もう一度会いたい。けど、会いたくない。
彼の記憶が薄れていって、私の記憶の彼とほんとうの彼は、きっと違っていってると思う。
一緒にいると優しい気持ちになれた彼、あの時寂しそうな目をしていた彼。
そんな彼と最後に別れて2年が経とうとしている。彼はもう今年22歳になる。ふとお互い何歳の時に、どこで出会っていたら、一緒に幸せになれる未来があったのかなと思う。
いつか会うとき胸を張っていられるように。
書くことを教えてくれた彼に、私ができることは書き続けること、それが私にできる最大の愛情表現なのかなって思う。
ゴッホの生き方(ゴッホ展より)
平日の昼間に美術館のゴッホ展に行った。
ゴッホと聞くと、生前に売れなかった画家、絵の値段は何億もする天才画家で、嫉妬も関心も持つことができない異世界の人だと思っていた。
今回の展示テーマは、世界的収集家のコレクションから、初期~晩年の作品を並べて、ゴッホの生涯を追っていくというものだった。(公式はどうか知らないけど。)ゴッホは、オランダ、フランス、地中海など、あらゆるところで作品を描いていて、展示品を順に見ていくだけで、ヨーロッパ旅行をしている気分になった。
ゴッホの作品を見ていて私は、彼の絵に対する誠実さ、弱い者への穏やかなまなざしを感じた。
今回初めて知ったことは、ゴッホは数えきれないくらいの作品を描いていたこと、ひたむきに絵の勉強をし、難易度の高い作品作りに取り組んでいたということ。
私はゴッホの作品が評価されているのは、ゴッホが常人とは違った特異な才能を持っているからだと思っていた。けどそれは違っていて、彼は数えきれない素描(デッサン)を書き、有名画家の技法の研究を通して、真摯に技術の向上を目指していたことを知った。
また、絵の解説にはところどころ、手紙の引用をもとにゴッホが作品作りの際に苦労したことが書かれていた。例えば、作品「黄色の家」で、ゴッホは、黄色とコバルトブルーの配色が本当に難しかったと言っている。そんな彼を私は「天才」という心無い言葉で呼ぶことに恥ずかしさすら感じた。
もう一つ、ゴッホの作品で印象に残ったのは、彼の作品は、田園、漁夫、農民、老人が多いということだった。もし、画家として売れたいのであれば、金持ちが好みそうな題材を書けばいいのにということも頭をよぎる。しかし、そんな彼の作品はそのようなものとはかけ離れていたモデルを使うことを好んでいた。モデルに対するまなざしは優しく、人間のふとした時に出る本人すらも知らない悲しみを捉えている気がした。もしかして、ゴッホ自身の悲しみや孤独を投影しているかもしれない。
などなど、さまざまな作品を堪能し考え、最後売店でポストカードを買った。ゴッホが一番輝いていた色彩鮮やかな時の作品を。その時代の彼は病院に入院してもなお鮮やかな絵を書いていた。きっと一番幸せな時だったのではないかと思う。
ゴッホに敬意を感じ、優しく穏やかな気持ちになった一日でした。